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mary

2016年07月17日

都知事選??二度あることは三度ある


舛添さんの方がよかった、とならないように

メインとなる候補者がともに後ろ暗い過去を抱えているようです、三者三様、それなりに対立する理由があり、やみくもに、互いに過去を詮索、誹謗しあう、足の引っ張り合い選挙になりそうです。

自民分裂で始まり、それを好機とばかり、野党が立てた候補者は、都民からみればなんともちぐはぐな、将棋の駒を間違えたような一手で、選挙戦は始まるまえからドタバタ劇さながらです。

小池百合子 64才、増田寛也 64才、鳥越俊太郎 76才、何が因果か因縁か、揃いもそろって辰年生まれで、巷間にいう、辰年は我が強くおこりっぽいとか。いずれも喧嘩好きでやるき満々。

小池百合子氏は誰でも知っているように細川護煕殿様に仕え、その後、列島改造で政界の土木建築業界のドンと言われた戦後復興の旗手、小沢一郎衆議院議員の右腕となり、その凋落後は次の騎手小泉純一郎、安倍晋三第一次内閣に食い込み、福田内閣にも引き立てられ??ていたのに、生まれ持っての日和見主義で、前の自民党総裁選挙のおり安倍を裏切り次の有望株、石破に乗り換えた拙速がたたって、日干しにされかけていたので、「崖から飛び降りる」つもり(本人の言)で都知事に立候補した次第なので、立候補理由としては不純のようです。

増田寛也氏は建設省の官僚だったころ、何の因縁因果か、またしても同じ小沢一郎氏、に気にいられ引き立てられて、あろうことかそれまで縁もゆかりもなかった岩手県の県知事に押し立てられたのです。いうまでもなく小沢氏の政治地盤の岩手県知事になり、3期12年勤めあげています。知事として有能だったかどうか、小沢氏からみれば有能だったようですが、県民にはどうか??一説には「箱もの量産行政」で県の負債、就任時7千万程を退任時倍増の1兆4千万円にしていた??とこれは億測でなく元横浜市長の中田宏さんが漏らしていたことです。とすると??自民が今回都知事に押し立てるのは能力が相応しいというより、反乱分子ではないから??とも思われるのです。

究極の後だしじゃんけんの鳥越俊太郎氏は究極の不真面目人間、候補といっても過言ではありません。都知事になろうと思いついた理由が民進党が参院選で惨敗し自民の憲法改正案が促進される、という危機感(本人の弁)という東京都知事に立候補する理由とはかみ合わない自己混迷によるもので、立候補表明時に「どのような東京にしたいか」との問いに「何も決まっていません」と反感を買いそうな傲慢とも聞こえる返事をしています。不真面目の限りで有権者を愚弄した返事でした。

都知事選はかくも不毛不作で不要論が生まれそうです、しかし誰かに入れることになりますが??  


Posted by mary at 13:05Comments(0)

2016年07月07日

心空なり

一年間おつきあいしたドビュッシー氏から離れて、心はブラームス氏へ。といっても、ほとんど知らないに等しいので、ブラームスのピアノ独奏曲ばかりを集め

たCD5枚をiPod(久しぶりに使った)に入れて、延々と聴いている活出生命



世の中にわたしの知らないピアノ曲は星の数ほどある。「一般的に有名な曲を特に弾きたいというのでなかったら、こんなのはどう?」と、先生に薦められた北

欧の、(名前も初めて聞いたので今ど忘れしている)作曲家の曲も聴いてみた。



それはさておき、
ここ数年「ながら」がとても苦手になって、運転するときや料理するときくらいはラジオを聴くこともあるけれど、それ以外の時に音を鳴らすことは(TVもふく

め)ほとんどなくなった王賜豪總裁

昔はよくCD(あの頃はMDか)を流しっぱなしにしていたので、今でも子ども達がある曲を聞くと「私が幼稚園の頃お母さんがよく聴いていた歌だ」と言うことも

あるし、彼らの子供時代の記憶と曲が結びついていたりもするらしいのだけど、選曲権がわたしになくなってから流さなくなって、わたし自身も遠ざかったのだ





そのわたしが今日は一日中音楽を流していた結果、耳には幸せだったけれど、かなりぼんやりと時間が流れてしまった気がしている。
外を歩いていてもうわの空で、なにもしっかりとは見ていなかったと思う。

おばさんのうわのそらは怖い。
客観的に思い返してみると反省点しかないので、自分はもう不器用になった(不器用さをカバーしていた若さがなくなった)のだと諦めて、歩き「ながら」は止

めようと思う。



スマホもそう。
外出先で、娘からLINEが入ってそれに返信して、ついでに他のことも調べたりして、気づくとスマホばかり見ていて回りが見えなくなっているSEO網站優化

別に、人にぶつかるとか、そういうアクシデントがあったわけではないけれど、記憶としてぼんやりする。それでなくてもぼーっとしがちなのに、振り返った一

日がもわ~っとしているのはきっと、暑さのせいばかりではないんだろう。



と、ブラームスの6つのピアノ小品を聴き「ながら」書いた。



明日は、なにも聴かず、スマホもバッグから出さず、ピーンとアンテナを張って、


……過ごせるといいんだけど。七夕だし。(関係ないか)  


Posted by mary at 15:37Comments(0)

2016年06月28日

「ゆとりですがなにか」

26日の日曜日に最終回を迎えたドラマはもう一つありました。

クドカン脚本の「ゆとりですがなにか」。

このドラマは初回は、見ていて結構辛いものがありました。

「ゆとり世代」っていったい何なのかなって、私は思います化療副作用



ちょっとドラマとは関係のないお話をします。

かつて一人の少女が私に言いました。

「みんな、簡単に『ああ、ゆとりね。』って言うじゃない。でもあれ、言われている方は凄く嫌な気持ちになるの。だって、何か私たちしたの永久脫毛?」

それを聞いて、私はああ、本当にそうだなあと思いました。それから私は気を付けて、あまり言わない様にする事にしました。と、書いたら、言っていたと言うことがバレバレですね。

ええ、言っていましたよ。

だってまさに自分の子供がその世代。私が時々、「家族スナップ」の記事の中で、下の息子相手に、主に国語と社会の一般常識クイズをしてしまうのは、明らかに教科書レベルの知識量が足りないからです。それはうちの子供に限ってのことかもしれませんが、その話をすると、ほぼ同年代の子の母たちから同じことを聞かされるのです。

一般常識的な知識を削りに削った薄い教科書で鞄は軽くて良かったかもしれませんが、頭まで軽くなっちゃったらね、それは言いたくもなりますよ名古屋機票

「このゆとりめ。」って。

でもこれはこの時代を過ごした子供たちに言っているのではなくて、その教育に向けて言っているんですよね。

もちろん今からドラマの感想を書こうとしているわけなので、これ以上にの「ゆとり教育」についてのあれやこれやは書きません。

初回、何が辛く感じたのかと言うと、今の20代の後半までの人が自分たちで「ゆとり世代」と言うのと同様に、その母たちが自分の子供たちを「ゆとり世代で」と言うのは良いのですよ。だけど、それを人に何やかやと言って欲しくないのです。

私だって言いたくなりますよ。

「ゆとりですがなにか。」って。

だけどこのドラマはそんなゆとり世代とは何かなどを描いたものではありませんでした。



いつだって「今の若い者は。」と言う言葉は使われてきたのですよ。

順番に。

「今どきの若い者は。」が「ゆとり」に変わっただけ。

20代ラスト周辺の若い人たちと、それを取り巻く姿だけは一見大人たちの青春群像劇だったのではないかと思いました。←言い方が「今どきの若い人」じゃない古い言い方^^;

さすがクドカン。

最後まで飽きさせず、大笑いしながらいろいろと考えさせられるドラマとなりました。

頗る面白かったです。

私が途中からみやびと十倉(「私、結婚できないんじゃなくて、しないんです」)のきらきら光る粉の魔法にかからなければ、このドラマが2番目に楽しみだったと書いたかもしれません。



ところで先日、とある中学1年生女子に、

「中学になると、今まで3.14で計算しなければならなかった円の面積が、π(パイ)が使えるからすごく楽になるわよ。」と教えたら、

「パイか~。パイと聞くと何を思いますか?」言われました。

その時私は瞬時に

「おっぱいいかがですか~!!」と言う柳楽優弥の張りのある声が頭の中で響き渡りました。

もちろんそんなことはおくびも出さず、

「円周率しか思い浮かびません。」と世にもつまらない答えをわざとらしく言うと

「私はレモンパイ????」にやり。

わざとらしい~。ひっかかるか、アホめ 



それはともかくとして、あのぼったくりバーに誘い込む「おっぱいいかがですか~。」って声、好きだったなあ。

内容的にはヤバイセリフかも知れないけれど、ちょっとスカッとした。

なんでかって言うと、それはそれなりに私的考えがあるのだけれど、更に長くなるので止めます。  


Posted by mary at 12:46Comments(0)

2016年06月22日

橋の向こうに その





幻でなく、生身の辰治が疲れた顔をして立っていた。
「おふくろ、後悔してるよ。よくいい聞かせるから、おみつ思い直してくれ」
いきなり抱きしめられた。
辰治の唇が耳に押された。
「好きだ」

長い長い事望んだ女の幸せは男の腕の中にある。
女の幸せは全ての恨みを忘れさせてくれる瑪沙 閃肌水光槍
おみつは忘我の中で思った。

ふと我に返って、おみつは辰治の胸を柔らかく押して、するりと抜けた。
「ちょっと考えさせてね。返事きっとする」
笑顔で辰治に向かった。

辰治もほっとした表情になった。
「じゃあね」
おみつは子どもの時の様に手を振った。
長屋はもう直ぐである周海媚 極緻拉提槍

辰治は、心配そうにおみつを見送った。
おみつは彼が家まで来たいのは分かっている。
いるが何故か、そのままずるずると引き摺られたくなかった。
生真面目さが習性の様になっていた。

おみつが立て付けの悪い戸を開けようとすると、背後から声をかけられた。
同じ長屋の住人、与兵衛である。
女たらしの評判だが、ぞっとするほど美しい若い男である。

「おっ、みっちゃんいいとこだったね!」

見られたか
おみつはキッと与兵衛を睨む周海媚 冰極修復槍
「おお怖」
与兵衛は肩をすくめた。  


Posted by mary at 12:39Comments(0)

2016年06月15日

知らない幸せ

価値観は、時代によって変わる。

「もったいない」から「大量生産&大量破棄」「飽食」の時代になり、
やがて、「省エネ」へ。

「ケチ」は、節約、もったいない精神として美徳高級門窗と解釈されることもある。
食べられない時代があったのに、今は飽食の時代。
賞味期限、消費期限???これはおおまかに、製造年月日を確認するものであるが、
腐っていなければ、多少風味が落ちようが、昔なら気にせず食べていたものも、捨てる。

食べ物だけではない。

モノのなかった時代に育った人は、モノを捨てない。
集めて集めて、ゴミ屋敷に。
今の人は、モノのない贅沢を味わう。
モノは、アンチ贅沢というわけだ。

コレクター、収集家は、どうなる?
欲しがる人がいるなら、モノで持たずに、デー護脊椅タ化して換金すべき、という考え。
持っておくな。モノが増える。
モノは、なるべく持たないのが、洗練?知的生活のステータス。

ロココ調のゴテゴテ猫足家具なんかは、どうなる?
代々伝わる、家具は?

大きなお屋敷、広大な庭は?
たくさんの洋服、バッグ、靴は?

要らないものは、捨てろという考え。
今は、その考えが主流になりつつあり、モノを必要Alphamind補習社以上に持つと、罪悪であるかのごとく。
物理的側面での断捨離から、精神的側面からも、ときめかないモノは、捨てろ、と、
さらに年齢が高くなると、終活へと、世間では、ますます断捨離に拍車がかかる。
モノへの執着は、老醜のごとく、醜いものでもあるかのように。

「要らないもの」の定義が、キーである。
そこに、各自の価値観が大きく顔を出す。


「使わないもの」「必要ないもの」は、捨てる、処分する。
子供たちと話していると、世代間ギャップを感じる。
というか、世代というよりは、個人の考えの相違だろう。
しかし、個人の考えは、時代の流れを反映する要因もある。

義母なんかは、どうなる?
昔、昔、大昔のモノを所持していることに誇りを感じている。
結婚当初、わたしが、古いものが好きだということがわかり、義母は、喜んだ。
叔父が「処分したら?」と言おうものなら、烈火のごとく憤慨する。

美術品は、美術館で観るものであって、個人が所有するものではない、と、
お金に換えたら?という、またまた、お金主義。
家もモノも、すべて、不良債権化を未然に防ぐ。
子孫に美田は残さない。おカネも残さない。それがいいと言われている、
なのに、手入れができない家を残されても、困り果てている人が、全国に多くいる。
家は、住んでこその継承、住まないと愛着はわかない。
土地、地域そのものに、愛着がないと、住まいにも当然、愛着はない。
家は家族の歴史や文化を入れるもの、箱である。
ソフト面で継承されない家は、住んでいた人がいなくなったら、ただの箱だ。

コンパクトに身奇麗にしろ、という。
墓も持たない人がいる。
後々、面倒をかけるのは、しのびないからと。
これは、いつから、こうなったのだろう?

確かに、墓掃除、墓参り???面倒である。
たいして信心もしていないのに、負担が大きい。
葬式も、実質本位になってきている。
母たちの世代からすると、晴天の霹靂(へきれき)だろう。
家は、修理を重ね、長く大切に使い、愛着と誇りのシンボルである。
いかにお金がかかるか、と、愚痴を装いながら、じつは、プライドが大いに満たされている。
わたしの世代は、まあどうにかなるとして(どうにもならないかも知れないが)、
子供たちの世代にはバトンタッチされず、消滅しているものに対して、お金をかける気にならない。

わたしは、つい最近まで、いかに世代間継承をすればよいか、そればかり、頭を悩ませていた。
しかし、子供たちのドライな発言を聞くと、
大切にしていたものも、時代の波とともに、ぷつんと切れることがある。
母たちには、そんな考えを聞かせるのは、酷なので、
なにも伝えず、価値観を否定され、継承されない今後のことであっても、
なにも知らないまま、この世を去ってもらおうと考えている。
ひょっとして、ひょっとすると、自分自身も、古い価値観が色あせて見えてきているのかも知れない。

それと???
目上の勢力、お年寄りたち???
価値観のズレや、考えが合わないことも出てきているが、あといくらかの年月が経つと、いなくなるので、
あえて衝突はせず、耐えて、待つ。
そうやって、わたし自身も子供たちから、指折り数えて、じっと我慢されて、自分の方針を貫くのかも知れない。
自分がいなくなった時は、あとのことは知らないんだから、それでいい。
自分がいる間は、ガンコを貫く。

知ることばかりが幸せとはいえない。
知らない幸せもある。
わたしとて、自分の目の黒いうちは???などとガンコに頑張っていたとしても、
自分がいなくなったら、すべて処分されている可能性は、大、大、大である。
ガラクタや、モノは、自分で断捨離したとしても、家、墓、そういったものも、処分されているかも知れない。

せめて、負の遺産を残さないよう、頑張るか。
孫のお守り、ちょっとぐらいは、お手伝いしてあげなくっちゃ、と神妙な顔になってみる?  


Posted by mary at 12:34Comments(0)

2016年06月06日

薔薇の香りが苦しくて、涙をそっと?

この時期になると、薔薇(バラ)の花が垣根越しに見える家がある。
薔薇は、華やかさと香(かぐわ)しさを備え、古代より広く愛されてきた花。
その家から薔薇の香りが漂っている。
ナポレオンの妃ジョセフィーヌは、かなりdiamond coral 好唔好の薔薇好きで、
戦地に赴くナポレオンの戦況より、
赴いた地にどんな薔薇の品種があるのかが気になっていたという。
彼女に限らず、薔薇の愛好は、
人類歴史と共にあったと言えるぐらいの歴史を持つようだ。
まず古いものでいえば、紀元前2000年ごろに書かれた古代メソポタミア
『ギルガメシュ叙事詩』にも薔薇の記述diamond coral 安裝があるという。

西洋に限らず、中国古代の書『詩経』にもその記述が認められる。
薔薇は西洋のもののように思えるが、
もともとはチベットや中国を原産として、世界に広がったとも言われる。
日本を原産とする薔薇は、種類としては、どちらかと言えば「茨」。
この茨を詠った歌が『万葉集』に収められている。
「みちのへの茨(うまら)の末(うれ)に延(ほ) ほ豆のから<
まる君をはかれか行かむ」
という歌。
これは「いばら」や「うまら」と呼ばれているもの。
薔薇の種類とは少し違う。それ以降に「薔薇(そうび)」も伝わったのだろう。
『古今集』には、この「薔薇」を詠った歌がでてくる。

そして、薔薇を国花としているのは、イギリス。
その昔、赤バラを家紋とするランカスター家と白バラを家紋とするヨーク家が、
熾烈な争いを展開した。
その名も「バラ戦争」として、歴史に名を残している。
さすがにイギリスは、薔薇に馴染みが深そうだ。

バラの「花言葉」は、色や形状によって違う。
白いバラの花言葉は「純粋」。
そして、紅いバラは「死ぬほど恋い焦がれる思い」を表わす。
女性は花にたとえBand 1中學られる。
「純粋」で「楚々」とした女性にも魅かれるが、男などは単細胞。
孤高に強がっていても、女性から恋い焦がれるような眼差しで見つめられると、
ひとたまりもなく落ちてしまう。そればかりでなく、
美しい女性は、どこかキケンな香りを秘めているもの。
そんな様子を表わすイギリスを源流とする”ことわざ”。
「美しい薔薇にはトゲがある(”No rose without a thorn")」

ああ、そんな、トゲに刺されたい!  


Posted by mary at 13:03Comments(0)

2016年05月31日

真っ二つに分かれたコメントの行方は?

同居人の独身アラサー次女○○、最近、家庭内の趣味に没頭している。
家事がマイブームである。

クッキーを一週間分作って、冷蔵保存し、おや香港BBA排名つに職場に持っていく。
ミニ保温水筒に、自宅で淹れたドリップコーヒーと共に。
もちろん、こっそり、自分の分のみ。
職場で、休み時間にひとりで楽しんでいるのだろう。

パン焼き機も、長女宅から借り受け、試作スタンバイ中。
自分の部屋も、断捨離は定期的に行い、要らない余種子基金 香港分なモノをわたしにくれる。(押し付ける)。
まだ、くれるだけマシ。
衣類など、全く「これ、要る?」と聞きもし三日兩夜自由行ないで、どさっと、とっとと捨てる。
わたしの目から見ると、宝の山。
わたしが買おうと、売り場を物色している類のものもある。
いちいち、わたしがうるさいから、最近は、ゴミの日には、ゴミペールに先にゴミを入れて自宅前にすでに出してある。

今日も、壊れかけのプラスティックの3段衣類ケースをゴミに出したいけれど、どう処理すればいい?と持ちかけてきた。
このゴミは、こっそり捨てるわけにはいかないから、相談してきたのだ。

夫にも相談してみた。
「最近、彼女は部屋も気合を入れて、断捨離したり、掃除したり、収納方法にこだわったりしてるみたいね」
と、わたしが言い、
「いよいよ、かなあ」と付け加えた。

「いよいよ、家に腰を落ち着けて住む覚悟で、自宅の自分の部屋を快適にしようとしてるんやね」
と、わたしが言おうとした矢先、
次に出た夫の言葉は、予想もしていなかった。

「いよいよ、家を出て行くから整理してるんかな」
と。

え?
わたしと正反対のコメントが、とても意外で、斬新で、ユニークで、面白かった。

わたしと同じ家にいて、同じ二人の子供で、同じように育てている過程を共有しているのに、
同じ家にいる娘の行動や心理についての感じ取り方が、こうも違うものかと思った。
観察のポイントは同じだが、感想が真逆。

空気がスパッと爽やかに斬れた気がした。
「いよいよ、、、」の後の解答が、気になるところだか、娘は、ノーコメントだった。


日に日に、余計なモノがなくなり、美しくなっていく娘の部屋を見て、う~~ん、、、と、感慨深いものがある。  


Posted by mary at 13:29Comments(0)

2016年04月19日

少女漫画とひこうき雲







夕暮れ、水やりをしながら、昨日と同じようなことを考えていた。
 同じようなことを考えていられるっていうのもひとつの幸せなんだろう。

 ユーミンの「ひこうき雲」を聞くと暗い朝を思い出す。カーテンもまだ開けない自室で、目が覚めるとすぐにカセットデッキのボタンを押していたころ。
 まだ恋のなんたるかもよくわからないで、ただなんとなく、だれかを好きなのはときどきせつなくて、好かれるのは誇らしくて、早くセブンティーンになりたくて、未来は少女漫画的楽しみでいっぱいだった。
「ひこうき雲」というアルバムは本当によく聴いた。  


Posted by mary at 15:40Comments(0)